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わたしの風邪はすっかり治りましたが、
「風が寒くて外仕事が出来なくてこまるわ!!」とさよちゃん。
●鹿野苑様 もの知らず様
法名を頂くと言うことはすばらしいことです。
そのことを契機にされて、よりいっそう深く仏道を頂く御縁になればと思います。
多くの場合において、踏み出せば踏み出すほど、迷いも大きくなります。
「作り置きした法名をアトランダムに付けているところや、自動で法名を付けるパソコンソフト」
パソコンソフトについてはよくわかりませんが、200前後の法名の版木があって、ランダムに授与されていたというたぐいのお話は私も漏れ伺っています。
しかし膨大な数の法名を「授与する」側の立場になってみれば、致し方のないこと。
思うにそれらの法名は必ず聖教をよりどころとされているのでしょうから、いかに受け止めるかは受け止め方にもいろいろあるのでしょう・・・。
まあその辺の問題点などを考慮した結果、門徒の方と手継ぎのお寺の住職とよく相談して申請される現在のシステムになったのでしょうね。鹿野苑様もよくよくご住職と相談なさって申請をされればよろしいかと思いますが、心は変わりやすいものですから、今良くても後で気が変わるかもしれませんよ。(笑)
私の知り合いの話です。
本山の帰敬式を受式し、法名を頂いたときは大いに喜んでおられました。
しかし後日、その方の嫌いな人と同じ名前だと知ったときに、急に嫌気がさして「変えてもらうには、どうしたらよいか??」と相談されました。
更に後日、「頂いた法名で満足しています!!」と聞き、ほっとしました。
私の法名は親が付けてくれた名前をそのまま法名として頂いているわけで、
物心ついた頃には「いかにも坊主臭い名前ではなくて、多くの友達のように普通の名前がいいな」と、どれくらい思ったことやら・・・。
親の付けてくれた名前だから、注文が多いのでしょうか。
自分が付けた名なら納得度は高いのでしょうか?
親鸞もご存じのように数回名前を変えられておられますよね。
ともすれば親鸞も迷いのただ中にあったのかもしれません。
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