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[祥琳様]
>泣きそう!!
祥琳様のような大家でおいてであってもそうなのですか・・・?。
わたしはいつも締め切りぎりぎりでないとエンジンが掛かりません。それがもっぱらの悩みの種!。落ち込むこともしばしば・・・。
今現在も夏物広告物の制作が進まず気が散るばかり・・・。心はアセアセながら気分は乗らず・・・。あぁ悩ましい今日一日!。
以下の書き込みに対しては本来は鹿野苑様のブロクに書き込みさせていただくことかも知れませんが、一応この祥琳様の掲示板でご覧になっている方もおいでかも知れませんので、申し訳ありませんがこの板に書かせていただくことをお許しください。
[鹿野苑様]
>もし差し支えなければ、こちらの勉強のために「もってのほか」という御意見をまた聞かせて頂けますか?
わたしは「北畠道龍」を研究したわけではないので詳しいことはわかりません。
歴史上の人物を評価するにあたってはそのどの面にスポットを当てるかによって正反対の結論が導き出されるのが常であれば、人それぞれによって見解の相違というものもついて回ります。ここではわたしの「真宗に生きる人間としてのスタンス」で「北畠道龍」なる人物をどう捉えているかをごく簡単に書かせていただきます。
わたしが「北畠道龍」を「真宗的にはもってのほか・・」としたのは、彼が「戦闘部隊を結成して活躍した人物」・・・この一点がすべてです。
いかなる理由があろうとも彼は「浄土真宗の僧侶」です。「僧侶」でありながら「殺人者部隊」を結成してそれを育成、発展させてゆくなど許されることではありません。
真宗に限らず、仏教各派では先の大戦に対する「戦争協力」という拭い去れない負の遺産を抱えています。
わたしにとっては、「北畠道龍」のような僧侶の存在を許したこと自体にも、それがはるか昔の事柄ではあっても苛立ちを覚える出来事です。
彼の活躍には常に「闘争」ということが付いて回っています。わたしから言わせれば、彼の行動論理のなかにはこの「闘争」のために「大義名分」が必要だった・・・であるから「はじめに『闘争』ありき」であって、その「大義名分」・・・つまり「闘争のネタ」を探し続けた一生ではなかったか・・・・と思っています。
実に彼は、この「闘争」のための「大義名分」を生み出すことにはカリスマ的な才があったと言わねばなりません。それをして彼を「怪物」と言わしめる所以であろうと思います。
「北畠道龍」の「本願寺改革」なるものについてあれこれ申し述べることは他宗派であるわけですから気が引けますが、わたしの「北畠道龍」に対する前述のような捉えかたからすれば推して知るべし・・・と。
ただ、参考になる事柄として、我が大谷派のいわゆる「お東紛争」の構図のなかにそれを見ることが出来ます。
余談ですが・・・「北畠道龍」とは対象的な僧侶として「戦争は罪悪である」と断じ、投獄もされ、宗派からも資格の剥奪という仕打ちをうながら、身を挺して子供たちを戦争の悲劇から守ろうとした「竹中彰元」という大谷派の僧侶を上げておきます。また、同時に、この「竹中彰元師」からその資格の剥奪という形で戦争に協力した大谷派宗門の間違いが悔やまれてなりません。
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