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>「大悲」そのものに抵抗感を持っている、という意味で使ったのではありません。
わたしも同じです。ただ、わたしの場合は「大悲」というとすぐに「恩徳讃」が頭をかけめぐるのです。
「恩徳讃」は親鸞さんご自身の心境を詠まれたもので、わたしはとてもそんな心境とは程遠い存在です。ですから「恩徳讃」を唱和する度に自分にもそして阿弥陀様にも嘘を言っているようで違和感が拭えないのです。
わたしにとって「恩徳讃」はメロディーが付いていますが音楽ではありません。自身の信仰告白であるという位置づけになっています。ですから親鸞さんのような信仰域に至っていないわたしにとって「恩徳讃」を歌うことはウソの信仰告白となってしまいます。
ま、「恩徳讃」を賛美歌などのように純粋に音楽として捉えたとしても、いいメロディーだとも思えませんが、どちらかというと本願寺派で歌われている?、「恩徳讃」のメロディーの方が好きです。↓の龍谷大学のページで聴くことが出来ます。
http://www.ryukoku.ac.jp/campuslife/collegesong/ondoku.html
たとえば・・・、わたしは西洋音楽や絵画が好きです。
今も、ネットラジオでサラ・ブライトマンの「アベ・マリア」が流れています。いい歌です。わたしは好きです。
わたしが結婚式の教会で賛美歌を歌うといっても、歌詞カードを渡されればメロディーは日常の風景のなかで自然に覚えているメロディーですからすらすらと歌えます。
そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」を見て感動を覚えます。西洋絵画のほとんどは何らかの形で宗教絵画と結びついています。わたしは名画カレンダーをわざわざ買い求めて居間に掛けています。「ミレーの晩鐘」いいな〜ぁ・・・な生活を送っています。
日頃の生活のなかでこのようなことを何の抵抗も自覚もなくやり過ごしているわたしは「外道」なのか。
お寺だからクリスマスはやらないという人は「アベ・マリア」を聴かないのだろうか、ダ・ヴィンチの絵を鑑賞しないのだろうか・・・・。
真宗の言う「神祇不拝」の「神祇」とはなにか、「不拝」とはどういうことか・・・。「雑行を捨て・・・」の「行」とはなにか、「不拝」と「行」はどう違うのか・・・・。
生活に深く入り込んでいる宗教的な行いと「神祇不拝」をどう理解すればいいのか・・・。
わたしにはわかりません。
前回ここにUPした絵ですが・・・、なにを間違えたか制作途中のものでした。完成品は↓です。女の子のシルエットと背景は変更しました。前回のものと見比べてください。
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