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こんにちは

 投稿者:どうけい  投稿日:2014年 7月23日(水)17時27分15秒
  お久しぶりです。
関東も梅雨明けして、かなり暑さが厳しくなりました。
エアコンが壊れて10日ほど経ちます。
取り付けは27日、それまで我慢です。
でもリビングなので、まだ良かったと思います。
寝室だったら、眠れませんでした。

商業目的は困りますね。
ブログに書かれて、どう対処しても駄目でしたので、
コメントの投稿ができないようにしました。
そのお陰でコメントが出来るようにしても、誰も投稿してくれなくなりました。
こんな迷惑なことはありません。
大したことは書いてないのですが…(^◇^;)

http://housyou28.web.fc2.com/

 
 

書き込み禁止項目について

 投稿者:祥琳坊主  投稿日:2014年 7月21日(月)20時29分27秒
編集済
  例外を除き、商業目的の書き込みは遠慮願います

      商業目的と判断されるものは
      削除します
 

アレルギー性の炎症

 投稿者:祥琳坊主  投稿日:2014年 7月14日(月)17時01分32秒
編集済
  眼科を受診しました
アレルギー性の炎症を起こしていますねとのこと
またもや苦手な点眼薬
大騒ぎで目薬を差さねばならない。
当に「二階から目薬」だ



 

柿には生り年がある?

 投稿者:祥琳坊主  投稿日:2014年 7月14日(月)01時50分34秒
編集済
  昨年一昨年と柿の不作が続いたので
今年はどうかと思っていたが、昨年よりは実の付きが良いようですね
先頃の台風で枝が垂れ下がり、灯籠の擬宝珠を払い飛ばしてしまいました。
こんなことは二回目。
枝の剪定と擬宝珠のセッティングをしました。
 

法話は聞くもの

 投稿者:祥琳坊主  投稿日:2014年 7月 4日(金)19時03分33秒
  生来の法話下手の祥琳坊主。
近頃とみに滑舌も悪く
起承転結もなくユーモアもない
ただただ長いだけ。

常に「法話を語る」側に立った、ものの見方をしていましたが
法話は「聞くもの」ということにやっと気がついた始末。
遅きに失するという思い、しきりの、今日この頃。

 

処理能力

 投稿者:祥琳坊主  投稿日:2014年 6月24日(火)19時15分27秒
  近年とみに処理能力が低下。
半面処理せねばならぬことは山積。
寺関係の書類はどっさり。
一種の強迫症に駆られる。
そんなとき、「明日にしよう!」と先送り。

●もの知らず様
私は近年急速に老眼が進み、本を読む気が起こりません(涙)
必要に迫られても……読みません

眼科にゆこうかなと発起したものの
予約制だと知り、止めました。
 

やっと手に入りました

 投稿者:もの知らず  投稿日:2014年 6月21日(土)18時57分16秒
  「真宗信仰の思想史的研究-越後蒲原門徒の行動と足跡」(奈倉哲三)という本が、やっと手に入りました。

ずっと以前からアマゾンなどで探していたのですが、「品切れ」でなかなか手に入りませんでした。

それが・・「親鸞となむの大地」の展示目録の本を会場で買ったら、その中に著者本人の寄稿文を発見し、そこに上記の著書本の中身について触れられていて・・、もしかして再販されているかも・・。と、思って探してみたら・・ありました。で、アマゾンでやっと手に入れることが出来ました。

私自身が越後における真宗の展開の歴史についてあまりにも無知なので、興味のつきない本でした。

中には、わたしの母の実家が文政6年(1823)の「本願寺御門跡さまご下向」の立ち寄り寺院であったことなどがあり、「へーぇ、そんなこと聞いたことなかったなぁ~」などと、ちょっとしたトリビアにも遭遇しています。文政6年といえば勝海舟が幕府の海軍奉行になった頃ですね。

ただ・・・24年も前に初版が出された本なので、最近の出版物と違い「高齢化社会」に対応していません。なにしろ文字が小さい。わたしのような高齢者には読みにくい。

以前に、浄覚寺さまのHPからリンクされている都内のお寺さまのご住職が書かれた本を著者のご住職ご本人からいただいたことがあります。各地に散在する真宗の古文書を解説したその本を読んで「目からウロコ」の事柄がたくさんありました。

奈倉氏のこの本もわたしの宝になるでしょう。
 

憎めない小寺政職

 投稿者:祥琳坊主  投稿日:2014年 6月16日(月)20時53分1秒
  NHK大河ドラマの「軍師官兵衛」に登場する小寺政職が好きだ。
武士らしくない言動に「うんうん!そうそう!」と相づちを打つ祥琳坊主。
必死に命乞いをする姿に、
「腹など切れるはずはない!」と弁護することしきり。

 

目刺し・・・いいですね

 投稿者:もの知らず  投稿日:2014年 6月14日(土)15時09分37秒
編集済
  祥琳さま、目刺しが好物とは・・。骨まで食べれて体にはよさそうですね。特に中高年になるととかくカルシュームが不足になりますからね。

かく言うわたしは・・年間で2尾くらいかなぁ・・。最近、魚そのものをあまり食べなくなりましたね。子供の頃は毎日の食卓が魚でした。・・そう、海が近いということもあって、漁師さんが天秤かついで直接売りに来ていました。

その頃は「米」と「魚」の物々交換でした。昭和30年頃までは江戸時代とそんなに変わらない田舎の暮らし・・、なつかしい風景を思い出しました。

久々の1コママンガ↓・・・やっぱりいいですね。どこか「ホッ」とします。
奥様がナフキン?を手にかけている姿が一流レストランのウェイトレスの姿を想像させて・・。毎日の食卓にこんなサービススタイルがあったら楽しそう。

PS
作品の公開は・・・。この掲示板を管理する祥琳さまのことをあまり考えていませんでしたね。考えてみれば・・この掲示板は「荒し」もなく管理されていますね。そのクオリティーを維持するするのは大変なことと思われます。

わたしが自身のHPやブログを持たないのは、この「管理が面倒そう」なことと「どーせ3日ボーズ」で終わってしまうという意志薄弱なことですからね。たいへん失礼いたしました。

 

大好物 めざし 

 投稿者:祥琳坊主  投稿日:2014年 6月14日(土)12時35分11秒
編集済
  日頃 食べたいと思っていた鰯の干物(目刺し)12尾で185円を握りしめ
興奮した顔でスーパーから出る。

そんなにたべたかったのぉ?と、6尾も焼いてくれた。

ご飯1膳・ワカメの味噌汁・焼いた油揚・サラダ(アスパラ ミニトマト 玉ねぎ)・カボチャの煮物

掲示板にそんなこと書くの?
昨日の夕飯は止めて!とさよちゃん
昨日の夕飯だからいいんだ!!と 祥琳坊主
 

彫刻工房から朝帰り

 投稿者:祥琳坊主  投稿日:2014年 6月14日(土)01時39分27秒
  モチベーションの低下により、しばらく遠ざかっていた工房に
近頃ようやく足が向き始め、今日も朝帰り。

●もの知らずさま
せっかくのお申し出ですが、
混乱のもととなることが多分に予想されますので、
また、いままでの良き関係を継続させていただきたく思いますので
この度は、お断りをさせて頂こうかと思います。

近頃は掲示板やブログも簡単に設置できるようになったと聞きます。
是非、HPをたちあげられて素材屋さんを始めてください。
楽しみにしております。
 

祥琳さまへのお願い

 投稿者:もの知らず  投稿日:2014年 6月11日(水)16時55分18秒
編集済
  わたしがイラストレーターで描きためておいた作品のなかから、大谷派のお寺様が発行する「寺報」などで利用できそうな素材を、祥琳様のこの掲示板を閲覧している方々が自由にダウンロードして利用できるようにしたいと思っていますが、そのためにこの掲示板を使わせていただくということが出来るでしょうか?。

図々しいお願いですが、わたし自身がホームページや掲示板を持っていないので、せっかく作ったものを公開するということが出来ません。(ポスターデザインなどをするときに、そのポスターデザインの構図の一部として作成しているものが、その後は死蔵されているだけなんです)。

試しに・・・あるポスターの裏面のデザインをしたときに作成(↓)したご本山の御影堂のシルエット画像を、自由にお使いできるように透過処理をしてアップしてありますので、下記のURLからダウンロートしてみてください。ただし、公開は6月13日までです。

また、↓の画像そのものをお使いになりたいときは、改めて高画質版をアップしたいと思います。

いずれもこの掲示板の来訪者の方々にはご自由にご利用いただいて結構です。著作権のクレジット表記なども不要です。

もし、祥琳さまにこのことをお許しいただければ、この掲示板での稚拙な作品の公開を続けたいと思いますが・・・。

御影堂「特大」サイズ
http://firestorage.jp/download/635a3bdd75403757537b6a031323b8de20e0fc3b

御影堂「大」サイズ
http://firestorage.jp/download/07e3930e6c404fed945b585772c524a94d543d5e

御影堂「中」サイズ
http://firestorage.jp/download/4238759340cb4aca473711e7b23a16fcc5b08f96

御影堂「小」サイズ
http://firestorage.jp/download/c98c121bf4d01997116e9b21a232430f6d010896

 

存如上人廟所

 投稿者:もの知らず  投稿日:2014年 6月 5日(木)19時00分20秒
編集済
  以前の投稿で北陸三県と越後の真宗の風土の違いについて触れましたが、それをきっかけに北陸の地に足を運んでみたいと思い、金沢へ行ってきました。

金沢城に隣接して「存如上人(蓮如上人の父)」の廟所があることを知り、「なぜ金沢に『存如上人』?」という疑問がわたしの足を金沢へ向かわせました。

もともと金沢はわたしの大好きな街で、何度か行っていますが、その文化が感じられる街に住んでみたいと思わせてくれるところです。

↓の写真が「存如上人」の廟所ですが、元々は金沢城の本丸の本願寺「尾山御坊」にあったそうです。

石山合戦後の大阪城もそうですが、この金沢城も元々は本願寺の御坊だったとは・・・。今はその本丸にそれらの謂れの書かれた案内板が立っていました。↓の写真がその案内板です。

石山御坊と言い、尾山御坊と言い・・いずれも信長の手に奪われている。「憎っくき信長め!」を感じます。

その金沢城はあちこちで復元工事が進められています。大阪城のようにコンクリート復元ではなく、創建当時の工法での工事であり、木組みや塀の内部の構造もみることが出来て興味深いものでした。

金沢の街での百貨店は「三越」や「伊勢丹」ではなく「大和」や「名鉄」であり、鉄道はJR西日本の管内で、観光ポスター類も関西・中京一色です。やはりそこらへんからも越後との文化圏の違いを感じますね。それは現代の交通手段のせいもあることとは思いますが、戦国の昔からそうだったことと思います。

新幹線の来春の開業でどう変わって行くのか・・・。いずれにしても今の金沢には活気があります。

振り返って・・わが越後はどこの文化圏に属するのだろう。上越・中越・下越の区分は京都に近い方からとばかり思っていたら・・それは「越後国府」を元にしていると言う。一方は海、三方を山に囲まれた越後は関西や関東、東北の、どの文化圏にも属さない・・それでいてどこからも影響を受けている。独特の「越後文化」なのだろうか。それとも未開の地ばかりが広がり、文化などは存在しない地だったのか・・。
 

有難うございます

 投稿者:祥琳坊  投稿日:2014年 5月29日(木)22時14分23秒
  詳しい資料を有難うございます
私の寺の周辺地域では年々人口が減少しています。
そんな中で、小規模寺院は教員など兼業で頑張ってきましたが
今日ではそれも難しくなってきました。
風前の灯火と言ったところです。
専業の大規模寺院なら、何とか生き残れるかも・・・・

お斉 勿論あります。手作りをしてますがいつまで続くことやら
家の宗教から個の宗教にというスローガンを掲げた同朋会運動が発足して五十年。
今だに江戸時代からの檀家制度に則った寺院経営にきゅうきゅうとしています。
恥ずかしながら、二足も三足もわらじを履いています。
仏像彫刻も趣味が昂じたもの。三本合わせ技といったところです。

そんな忙しい生活の中で、考えることは、どうしても「簡略化」
旧態依然とした伝統にも勿論それなりの宗教的意味合いと意義はあるのですが・・・。
たとえば報恩講御取越を昔のように数日間を掛けて厳修されておられる寺院は希です。
お斉も精進料理は僧分だけ。(私の寺のこと)まるで禅宗のお寺みたい!!
 

長岡市

 投稿者:もの知らず  投稿日:2014年 5月29日(木)21時11分33秒
  >長岡周辺の真宗寺院はどうなのでしょうか?

前回の投稿での図表で「中部」と示してあるグラフが長岡を中心とた「長岡・三条・燕・加茂・見附・魚沼・南魚沼・小千谷・十日町の各市と西蒲原・南蒲原・三島・南魚沼・中魚沼・刈羽の各郡」です。

この中から「長岡市」のみをピックアップしたグラフを↓に掲げておきます。
 

報恩講・・・ですか。

 投稿者:もの知らず  投稿日:2014年 5月29日(木)21時01分21秒
  >年々参詣者が減少しております。

重い課題ですね。

浄覚寺さまでの報恩講では「お斎」はあるのですか?。お寺の本堂での「お斎」の風景はなくなりましたね。ガーデンパーティー風の「お斎」があってもいいのではないかと思う次第です。
宗教というものが「家の宗教」から「個人の宗教」へと変化しています。しかし、たとえば報恩講に限らず、お寺へ詣でる参詣者と言えば「一家を代表して」の参詣者が大多数なのではないじょうか。そこらへんの思い込みから変えてゆく必要を感じます。
 

理解力不足

 投稿者:祥琳坊  投稿日:2014年 5月28日(水)20時49分31秒
  もの知らず様のおっしゃることが解るような、解らぬような(涙)
長岡周辺の真宗寺院はどうなのでしょうか?
同じ長岡地域の寺院でも、私のような
無自覚な住職の寺と布教活動に熱心な住職のお寺とでは、大きな意識の
違いがあります。これは残念ながら本当のことです。

今日は拙寺の報恩講御取越。
年々参詣者が減少しております。
「どこの寺でもおなじような傾向がある」と自己納得をしています。
 

信仰のウォレス線

 投稿者:もの知らず  投稿日:2014年 5月28日(水)18時05分42秒
編集済
  >信仰心の深さの違いでもあるのでしょうか?

わたしは以前に各県別の宗派別寺院数の実態を調べてみたことがあります。

新潟県の真宗寺院の分布で気になったことが内陸の山間部には真宗寺院が少ないということと。そして北陸三県から続く真宗王国の帯が阿賀野川を堺にまるで生物分布の境界で有名なウォレス線のように明確に途切れていることです。

その真宗のウォレス線とも言うべき境界は新潟市北区と周辺市町村の境界線がピッタリ一致します。下図はそれをグラフ化してみたものです。北部(新発田・村上・胎内・阿賀野・五泉・岩舟・東蒲原)には浄土真宗寺院(青色)が極端に少なく、曹洞宗(茶色)が圧倒的であることがお解かりいただけると思います。これは新発田・村上が城下町であったことが色濃く影響しているのでしょう。が、同じ城下町でも西部(上越市・糸魚川市・妙高市)は圧倒的に真宗色ですね。

これはなぜか・・・?。そこには越後における真宗の展開の歴史があると思って調べてみたりしました。やはり同じように真宗王国と言われる他の北陸三県における真宗の展開の歴史とは大きく異なっているようです。

わかり易く言えば、蓮如の時代から大きく展開した北陸三県の真宗と、江戸時代の開墾によって大きく展開した越後の真宗・・・その違い。

そして、北陸三県と同様に蓮如の真宗の流れを汲みながらも、やはり親鸞配流の地であることの特殊性とでも言うか・・・独自性も感じられます。

そこらへんから来るのでしょうか、北陸三県の真宗信仰が「動的」であるのに対し、越後のそれには「静的」な信仰形態が感じられるのです。それは・・忍耐強い県民性にも一致しているように思われます。
 

なむの大地

 投稿者:祥琳坊  投稿日:2014年 5月24日(土)22時24分46秒
編集済
  >新潟県の真宗信仰というものが他の北陸三県の真宗信仰の風土とはまた違ったものがあるように思われたことでした

信仰心の深さの違いでもあるのでしょうか?
お恥ずかしいことに自覚(信仰心)が足りない祥琳坊主は、
今更ながらのようではありますが、雑念にいつも心が揺らいでいます。
救われがたきは、逃げの一手をいつも懐に忍ばせているこの私です。

小さな良寬様をほのぼのシリーズで造りました。
 

なむの大地

 投稿者:もの知らず  投稿日:2014年 5月24日(土)13時23分16秒
  >古文書が全く読めない私、

それはわたしも同じです。現代文に訳されたものを読むのがやっとです。原文は仮名漢字交じりで旧々仮名使いの上に濁点、半濁点もないし、当て字もありの文章ですからね。

たとえば「みやうかう(名号)」「わうしやう(往生)」「しやうにん(上人)」などと古い古い仮名使いですし、「おとご(末子「すえこ」)」のように現代では聞かれなくなった言葉もありますからなおさらです。

ただ、今回の展覧会にわざわざ出かけた意義はそれが「なむの大地」である新潟県で開催されたこと。そして我々はその地に足を運んだこと。展覧会のほかに聖人ゆかりの地やお寺を廻って「なむの大地」ということを肌で感じることが出来たこと。

今回の収穫は・・・新潟県の真宗信仰というものが他の北陸三県の真宗信仰の風土とはまた違ったものがあるように思われたことでした。個人的には「良寛」もとりあげてほしかったと思います。ま、良寛様の場合は、おなじ「なむ」でも「なむ釈迦牟尼仏」なんでしょうが、しかしその生涯は「なむ阿弥陀仏」を生きた人ですからね。わたしは良寛様は「妙好人」の域に達した念仏者だったと思っています。これこそが越後の「なむの大地」の風土のなせるわざのような気がするのです。(真宗的側面から良寛様を取り上げるのでは曹洞宗の協力は難しいでしょうがね)
 

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