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無常ということ

 投稿者:とん平  投稿日:2012年 5月15日(火)15時12分52秒
  このところ何人かの方の訃報を聞きます。中に旧店のころご愛顧いただいた方々もおられます。

あの人この人と、思えば皆さん十以上も若い方たちです。

  「人の亡きあとばかり、悲しきはなし」 (徒然草)

  「年月をいかでわか身に送りけむ きのふの人も けふはなき世に」  西行

  (この年月をどのようにわたし自身は送ってきたのであろうか。昨日までは元気だった人も今日は亡くなってしまうという世の中で)

歳をとれば親しい人が亡くなることが多くなり、その度に悲痛な思いに襲われます。世の無常を今更ながらに

思います。平家物語や方丈記の有名な冒頭の名文句を引用するまでもなく、世の人や物事は何も不変なもの無

く、在ったものが無くなり居た人が居なくなり変わっていくのは、日常経験して頭では承知していながら、そ

の度に動揺します。あの大震災の前と後の映像などは平生な気持ちでは見ていられません。美しい風景が無残

に変わりはててしまったのは、一体どんな自然の無慈悲な意志の仕業なのだろうかと恨みがましい思いを持ち

、一方のその無限の恵みの方は忘れてしまいます。

考えれば、無常とは在ったものが無くなるだけではなく、無かったものが生まれて現れるということで、

悲しさと喜びが表裏一体なのだということでもあるのでしょうが、憂き世などという言葉もあるとうり、

人は万葉の昔から無常の悲しみの方を多く歌う傾きがあるようです。

  世の中は空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり  大伴旅人

  世の中はなにか常なる あすか川きのふの淵ぞ今日は瀬になる  古今集

  世の中は夢かうつつか うつつとも夢とも知らず ありてなければ 古今集

世の無常の悲しみを堪えるにはどうすればいいのかと、この歳になっても迷っていますが、上の歌のように

この世はすべて(無)であり(空)である思って納得するのが最上のような気がします。








 

夏きにけらし

 投稿者:とん平  投稿日:2012年 5月 6日(日)23時32分57秒
  若葉の輝く季節になりました。

 春すぎて夏来にけらし白妙(しろたへ)のころもほすてふ天のかぐ山  持統天皇

この有名な歌はご存じのように「小倉百人一首」にありますが、元歌は「万葉集」で

 春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山 とあり、来にけらし が 来たるらし、ほすてふ は

干したり とありますが、耳なれているせいか百人一首の方が気にいっています。夏の明るさを歌った大らかで爽やか気分に満ち、詩人の大岡信は「香具山は藤原宮の東にある低い山で、天皇はこの歌で、宮殿から山腹に乾されている白い衣を見て夏の到来を喜ぶ気分を歌いました」と「私の万葉集」に書いています。しかし、宮廷歌人の代作であることは間違いない、という説もあります。

いずれにせよ、この女帝はなんと大らかで明朗なお方なのだろうと想像していました。とろが女帝は夫天武天皇の没後夫と姉のあいだに生れた天皇候補の大津皇子を死に追い込み、愛児草壁皇子を守るかたちで即位した
と歴史の本で知ってから、この歌の印象は初めとは変わったものになりました。月にむら雲とでもいうのでしょうか。

それでも若葉の季節が来ると、「春すぎて、、、、」と歌いたくなります。


 

スヌーピー

 投稿者:とん平  投稿日:2012年 5月 1日(火)02時16分39秒
  皆さんはピーナツというアメリカの漫画をご存じだと思います。、スヌーピーというビーグル犬が人間の子供や動物たちと登場し、まるで哲学者のようなことをつぶやいたりします。

彼はほとんど犬小屋の屋根の上で寝ています。それも腹を空に向けて、つまり仰向けに寝ています。(屋根のてっぺんは尖っていなのかしらと余計な心配をしています)時にはそこでタイプライターを打ったりします。

そんな彼にいろいろな子供たちが話かけたり批判したりします。スヌーピーはそれに対して知らん顔しています。そして彼らが居なくなるとひとりつぶやきますが、その内容に笑わせられたり考えさせられたりします。

スヌーピーの周りには子供たちや動物の愛すべきキャラクターが登場します。その中にルーシーという女の子がいます。本ではわがままな利己主義者で批判屋さんと紹介されています。

ある時例によって犬小屋の屋根で寝ているスヌーピーに向ってルーシーが、「あなたは人生を無駄に過ごしていると思うわ」と言います。スヌーピーは鼻を空に向けて黙っているだけです。そしてルーシーが去ったあと「無駄どころか、犬であることはフルタイムジョッブだ」と、ひとりごちます。

犬として生きることはフルタイムジョッブだというスヌーピーのつぶやきは、いろいろなことを考えさせます。苦しみや悲しみに満ちた人生には忍耐が要る。何もしなくても生きていることだけで大変。

本当に生きるということはフルタイムジョッブだと思います。皆さんはどうのように思われますか?







 

外国映画のタイトル

 投稿者:とん平  投稿日:2012年 4月23日(月)23時48分14秒
  かなり前から気ずいていたことですが、外国映画のタイトルは原題そのままをカタカナで表記したものが以前より多いように思います。

マーガレット。サツチャー、ジョン。カーター など人物名はともかく、ブラック&ホワイト、バトルシップ、ミッシオンインポシブル、テリマエ。ロマエ(驚いたことにこれは邦画)、等々、一見しただけでは内容を推し量ることもできないようなタイトルが多いようです。

しかし、これは今に始まったことではなく、無声映画の輸入が始まった頃からで、例えばグリフィスの「イントレランス」などがあります。1930年代には一世を風靡したフレッドアステアーとジンジャアーロジャアースのミュージカル映画には、トップハット、コンチネンタル、ロバータなどがあります。

(コンチネンタルは原題GAY DIVORCEE で、ゲイは作今の俗の意味ではなく、陽気な女離婚者とでも訳すところ、それでは映画の題名にはふさわしくなく、作中のヒットした曲のタイトルです。)

いつも思いますが、昔は、と言っても、戦後に見た映画ですが、邦題を実にうまく考えています。

(心の旅路)記憶喪失した男の快復をひたすら待つ女の純愛を描いた傑作の原題は(RANDOM HARVEST)、これを(心の旅路)とタイトルした人の詩的な頭脳にはただ感心してしまいます。

(晴れて今宵は)=(Yuo were never lovelief)
(楽聖ショパン)=(A song to remember)
(若草の頃)=(Meet me in St.Louis)
(愛のアルバム)=(Penny Serenade)
(恋愛準決勝戦)=(Royal Wedding)
(すべてこの世も天国も)=(All this heaven too)

挙げればきりがありませんが、内容に相応しい邦題を与える工夫には感嘆するだけです。


いまふと名訳として思い出しましたが、これは題名ではなく、「カサブランカ」の中でハンフリーボガードがイングリッドバーグマンに乾杯するときに言うせりふで、(...here looking at you)と聞こえますがこれを(君の瞳に乾杯!)という邦訳の字幕が出ます。なんと詩的な訳ではありませんか!

どの分野にせよカタカナ語の氾濫にもはや違和感を覚えぬ現代ですが、美しい日本語は忘れてほしくないと思います。










 

早や葉桜

 投稿者:とん平  投稿日:2012年 4月19日(木)00時35分23秒
  早や川沿いの桜木は葉桜の芽の緑と散らずに残る桜の桃色とが混じりあって複雑に枝えだを飾っています。
川面には花筏がゆっくりと川下へ移動しています。(花筏などと美しい日本語を誰が発明したのでしょう)

数日前のあの満開の桜の並木はもう見られません。開花を待ち望んで心を騒がせたつい2-3週間まえのことは記憶の彼方へ流れ去ってしまいます。それにしても、後期高齢者としては、来年もこの桜を見ることができるのかしらと、毎年同じ感慨を持ちながら早や数年経ちました。

     青葉さへ 見れば心の とまるかな 散りにし花の 名残り思へば   西行
 

桜満開

 投稿者:とん平  投稿日:2012年 4月 9日(月)22時05分5秒
  今日横浜の桜が満開になりましたとメデイヤが報じていました。暖かいので夜桜見物の人出で川沿いは賑わっています。

浅草の伝法院のしだれ桜の庭園をこの期間だけ解放とテレビで知り見てきました。池を巡るいわゆる回廊式庭園からはいろいろの角度から風景を楽しめ、面白いのは浅草寺の五重の塔とスカイツリーとしだれ桜の三点をワンセットのシーンで眺めらるのです。赤い五重の塔、銀色のスカイツリー、ピンクのしだれ桜、、、、、目を転じると池の畔の灯篭の頭のあたりにしだれ桜の枝先が撫で撫でして、、、、

それにしても桜咲く頃になるとどうして心安らかでいられなくなるのでしょう。桜前線の移動には無関心ではいられない。出来ることなら追いかけて北の果てまで、、、、大昔から人々は桜に熱い思いを寄せていたのでしょうか、そうではない、ソメイヨシノが広まってからではないかと疑問を呈している人もいます。(桜が創った日本)佐藤俊樹著

先日ラジオである作家が若い頃年上の作家に万葉集に桜の歌は無いと言われたと語っていました。ところが高橋睦郎の(季語百話)によると、「万葉集」の桜の歌は梅の歌の半分以下、、、「古今和歌集」ではほぼ同数になる、と書かれてあり、、、調べてみなけてばと思っています。

  あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫(にお)ふがごとく
  今盛りなり

思い込みでこの万葉集の歌の花は桜とばかり思っていましたが、数年前なにかの本で梅ではないかと書いてあるのを読んだ記憶があります。薫という文字遣いからして梅のことと思われると高橋睦郎も書いています。

うっかりしていると花の盛りもすぎてしまいます。ここ数日は桜の満開を満喫しましょう。これから近所お夜桜を楽しんできます。

 

桜はまだかいな

 投稿者:とん平  投稿日:2012年 4月 2日(月)16時41分53秒
  今年も又さくらの開花が気になる季節になりました。川ぞいのさくらの蕾はまだピンクの帽子をかぶったままです。中に濃いピンクの満開の花を咲かせたさくらの若木が一樹目立ちます。樹種ジンダイアケボノで平成22年植樹と札に書かれてあります。幹は細く高さも3-4メートルでしょうか。あと10年もしたらまわりのソメイヨシノより早咲きを誇るのでしょう。

この国の8割はソメイヨシノだそうですが、なんでソメイヨシノとよばれるのか、おぼろにしか知りませんでした。先日テレビで解説したので納得しましたが、東京の駒込が吉野という町名であった江戸末期の頃、そのあたりの植木職人さんがオオシマザクラとエドヒガンをかけあわせていて偶然、この華やかな咲きばえと、散り際のいさぎよいのを発見し、接ぎ木をして広めたそうです。こんなことは皆さん先だってご存じでしたでしょうが、、、、、それにしても後世の人に花を楽しませようと労力を惜しまなかった昔の人に感謝と尊敬をおぼえます。

去年は4月12日あたりに満開とありますが、今年もあと数日でしょう。毎年ながら今頃になると開花が気になります。


     世の中にたえてさくらのなかりせば 春の心はのどけからまし  古今集

     年ふれば 齢(よはい)は老いぬ 然はあれど 花をし見れば
     物思いなし                               
 

徒然草

 投稿者:とん平  投稿日:2012年 3月27日(火)00時38分23秒
  手近にある古典文学でいちばん親しんでいるのは兼好の徒然草です。

第四十三段などは今どきの教科書などには載っているのでしょうか。

晩春の、散策の途中でみつけた風雅な邸の、”奥深く、木立、物古りて、庭に散り萎れたる花、

見過ぐし難きを、差し入りて見れば、南おもての格子、皆下ろして寂しげなるに、東に向きて、

妻戸の良き程に開きたる、、御簾の破れより見れば、容貌(かたち)清げなる男(おのこ)の、

年、はたちばかりにて、打ち解けたれど、心憎く、長閑(のどやか)なる様して、机の上に、

文をくりひろげて、見居たり。

如何なる人なりけん、尋ね聞かまほし。”

次の第四十四段では風雅な青年貴族が登場し、

”あやしの竹の編戸のうちより、いと若き男の、月影に色合、定かならねど、

艶やかなる狩衣に、濃き指貫、いと故付いたる様にて、ささやかなる童、一人を具して、

遥かなる田の中の細道を、稲葉の露にそぼちつつ、分け行くほど、笛を、えならず吹きすさびたる、

哀れと聞き知るべき人もあらじと思うに、行かん方しらまほしくて、見送りゆけば、、、、”

山際の立派な惣門のある邸に入っていった、邸内の持仏堂には法師たち、女房らが廊下を往き来し、

夜寒の風に空炊きもの香りが漂い、秋の野のような庭は露に埋もれ、虫の音もかしましく。。。。

美しい趣ある情景を描いた段はほかにもありますが、特にこの二つの段は好きで時々読み返しています。

よく知られているように、徒然草には人生訓や滑稽な逸話などが豊富ですが、なにより兼好の美しい

ものに憧れ惹かれる青年のような素直さに魅力をおぼえます。







 

日常茶飯事

 投稿者:とん平  投稿日:2012年 3月 5日(月)15時11分36秒
  皆さんの朝飯はパン派? ご飯派? ほとんどの方がパン派だと思いますが、先頃テレビで昭和14年製作の島津保次郎監督の「兄とその妹」を見ましたが朝飯のシーンで、OLの妹がサラリーマンの兄とその妻がトーストを摂ります。長火鉢の炭火に餅焼きの網でパンを焼きバターを塗りコーヒーに角砂糖を入れたりします。

山本晋也監督も言っていましたが、あの時代朝飯にパン食のシーンはとても新鮮に見えました。昭和14年といえば当方は4才で朝飯にトーストの記憶はなくパンはお菓子みたいなものでした。パン自体はもっと古い時代から食べられていたようですが、あの時代に一般家庭で朝飯にトーストとはちょっと注目しました。それで暗示にかかり、ご飯の朝飯がまたトーストにもどりいちごジャムやピーナツバターをごてごてと塗りまくって、、、自分ながらなんと単純なことよ、、、、

それともうひとつ意外に思ったのは、あの時代の中流家庭の玄関先の石造りの門に、今どの家の入り付いているようなインターホンがあり、、主演の佐分利信が来訪を告げるシーンがあります。子供の頃には呼び鈴のベルのボタンは見ていましたが、インターホンは記憶にありません。

今思っているよりあの時代は結構モダンで洋風な暮らししていたのだと、映画や本で今更のように新鮮に感じます。



 

大阪のやまさん

 投稿者:とん平  投稿日:2012年 2月20日(月)22時49分56秒
  やまさん、

15日のご投稿有難うございます。また先日はご来店有難うございました。

関東の人間である私は関西に云うに謂われぬ憧れのような気持ちがあり、
特に大阪は機会があったら訪れたいと思っている都市のひとつです。

たまに大阪から来られるお客さんがありますが、関西の空気のようなものが
感じられて、ついそちらの近況をしつこく訊いたりいたします。

一年後を楽しみにしてお待ちいたします。今後ともよろしくお願い
いたします。

ご返事がおくれまして申しわけありません。

有難うございました。
 

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