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やりずらい?やりずらい!

 投稿者:ブン太!ワールド  投稿日:2017年 3月16日(木)22時40分53秒
  おこなう!どうにか?ならないか?
行う?
行った(おこなった)?
行った(行った)?
おこなうのを送りがなを付ける
で解釈区分けする!いかがでしょうか?ご検討ください!
 
 

塚田さんへのお返事

 投稿者:増田嗣郎  投稿日:2016年 6月24日(金)13時51分57秒
  塚田さんの素直な書き込みに対し、どなたの反応もなく、放置するのも失礼かと思い、お返事します。本来ならこの種のコメントはメールでするのが適当なのでしょうが、アドレスが分りませんのでこの場を借りてお返事します。
塚田さんがおっしゃる「「日本語が美しい」というのは構わないのですが、「だけ」は余計だろう・・」は全くその通りだと思います。ただ、問題なのは「日本語が美しい」と言っただけで、「だけ」と解釈する方が多いということです。また、「日本語は違う」と言っただけで過敏に反応するのも問題だと思います。
オノマトペだけではなく、いろいろの点で日本語は他の言語と違います。その違いを明らかにすることは、他ならぬわれわれ日本人の役割です。日本語のことが一番よく分るのは、われわれ日本人だからです。
塚田さんも‘サピア・ウォーフの仮説’はよくご存じだと思いますが、言語の違いが人々のものの考え方、すなわち文化の違いに結びついているのです。ただ、この‘サピア・ウォーフの仮説’は、欧米では相対主義として、今なお批判的に受け止められています。
数年前に出た「言語が違えば世界が違って見えるわけ(Through the Language Glass: Why the World Looks Different in Other Languages)」が欧米でもそこそこ読まれて少し考え方も変わってきたかとも思いますが、この本自体、日本人のものの考え方の違い、その元にある日本語の違いにまでは考えが及んでいません。そもそも著者ガイ・ドイッチャー自身、日本語的もの考え方を知らないのですから、已むをえないことなのかもしれません。
38年前に「日本人の脳」を出された角田忠信先生が新しく「日本語人の脳」を出されました。日本語人だけが‘虫の声’を言葉として聞くという主張は変わっていません。ただそれだけのことか、とおっしゃる方もいますが、‘虫の声’を言葉として聞くか、言葉としては聞けないかは、大変な違いなのです。‘虫の声’はもちろん辞書的な意味を持ってはいません。辞書的な意味を持っていないものを言葉として聞くということは、言葉が辞書的な意味以外にも何らかの情報を持っていることを分っているということです。欧米人は言葉に意味しか認めません。辞書的な意味を持たない‘虫の声’は欧米人にとっては言葉ではあり得ません。雑音でしかないのです。
言葉が意味以外のものを持っていると思うかどうか、思えるかどうか、これは大変な違いです。
意味以外のものと何か。日本語の場合は気持です。質感的なものも伝わります。英語にも質感的なものから作られたと思われる単語がたくさんあることを元九州大学教授の西原忠毅先生が「音声と意味(SOUND AND SENSE)」で紹介しておられます。ただ、現代の欧米人が言葉の音の質感の違いを感じながら使い分けているかどうかは疑問です。
言葉を意味としてだけで使っているのと、意味に加えて気持の伝達にも使っているのとでは大違いです。欧米語は情報の伝達に特化した言語、日本語は情報と気持を伝えようとする二重構造の言語です。その分、日本語は曖昧だと言われます。もちろん、欧米人も感情を伝えようとします。しかし、欧米人はそれをジェスチャーやしゃべり方、語気、音量などで表現します。言葉の音の違いによっては表現しません。表現出来ないのです。それに適した言葉、フレーズが用意されていないのです。そのような文化がないのです。言葉の違いは文化の違いなのです。
塚田さん、慶応大学名誉教授で言語学の大御所鈴木孝夫先生の「日本の感性が世界を救う」や、モントリオール大学で長年日本語を教えてこられた金谷武洋先生の「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」、読まれましたか。読んで抵抗がありましたか。反発を感じましたか。金谷先生にいたっては「日本人は英語が苦手なのは、日本語が素晴らしすぎるから!」とまで言っておられる。いろいろ細部については私とは考え方が違いますが、基本的には両先生のご意見に賛成です。日本語は欧米語とは違うのです。本質的に違うのです。両先生はそれがなぜなのかはくわしくは触れておられません。私は‘虫の声’の問題と本質的なところでは繋がっていると思います。日本語が気持を伝える言語だからです。
塚田さん、日本語が欧米語とは違うことをもっと世界に発信した方がいいのではないでしょうか。そして、日本語的ものの考え方を世界に広める。そのためには、われわれ日本人自身が日本語の特徴、良さを知っていることが大切だと思いますが、如何でしょうか。
なお、ご紹介した先生方のご本については私のサイト‘語感言語学’(http://theory.gokanbunseki.com)でそれぞれ論じさせていただいています。
   (平成28年6月24日)

http://theory.gokanbunseki.com

 

去年投稿しました

 投稿者:塚田浩太郎  投稿日:2016年 5月16日(月)03時24分47秒
  大変遅くなって申し訳ありませんが、簡単に返事だけ致します。
私の書き込みに対する増田さんの意見については、特に異論はありません。
私が本当に気にしているのは、言語どうしで優劣を付けるような方向に議論が行ってしまう事で、そうでない限りはどんな切り口からの研究であっても基本的に尊重します。
日本人持ち上げ過ぎなこのご時世、オノマトペを引き合いに出しながら「日本語は感情が豊か、欧米語は感情が乏しい」というような話を時折メディアで耳にします。
「日本語が美しい」というのは構わないのですが、「だけ」は余計だろうと世間に言いたい気分です。
乱文にて失礼致しました。
 

感じる言葉 オノマトペ

 投稿者:増田嗣郎  投稿日:2015年 9月30日(水)11時32分38秒
  感じる言葉 オノマトペ

このサイトをときどき覗いている者ですが、そろそろこのサイトの趣旨にそった議論に戻してみませんか。
小野正弘教授がまた新しい本を出されました。「感じる言葉 オノマトペ」。なかなか面白い本ですよ。一つの同じオノマトペが歴史的にどのような意味合いで使われてきたか、意味の歴史的変遷を追うという非常にユニークで画期的な取り組みです。大変いい本だと思います。
ただ、ざっと読んだ限りでは、前回の「オノマトペがあるから日本語は楽しい」と比べると、感覚的な突っ込みが甘くなったような気がします。より学者的な取り組みというか、文献の逍遥に重点が置かれ、オノマトペの音の持つイメージに迫れていないと思います(それはそれで楽しめるのですが)。
例えば、今回のご本でも古事記の国造りのところに出てくるオノマトペ‘こをろこをろ’を取り上げ、その現代訳として新編日本古典文学全集の頭注から‘からから’を紹介されていますが、‘こをろこをろ’は‘コーロコーロ’で今でもそのまま通用します。‘からから’は前著で先生も「意外に、軽く、明るい音」と言っておられましたが、濃い塩水を掻き混ぜるには、力を入れて掻き混ぜる必要があります。力を入れて丁寧になら ‘コーロコーロ’がぴったりです。‘からから’では軽すぎて空回りです。このあたりの語感の感じ方は古代人も現代人も同じです。同じ音の発音体感は同じだからです。時代によって、あるいは年代によって変わるのは、好みなどの価値観です。体感は変わり様がありません。頭注がおかしいのです。小野先生も変に妥協せず、ご自身の感性を通すべきです。
ただ、私は、‘こをろこをろ’は擬音語としてではなく擬態語として使われていると思います。「こをろこをろと」ではなく「こをろこをろに」となっています。‘KOWORO’は音的には‘KOKORO’(心)と繋がっていると思います。‘KARA’とは感性的に遠いと思います。母音/O/と/A/では、イメージとして対極です。
その他気になる点もありますが、もう少しよく読んで次回以降にしますが、小野教授の門下生たちはどう思っているのでしょうか。うちうちで議論はなさっているのでしょうが、是非その一部でもご披露いただけないでしょうか。
  平成27年9月30日

http://www.gokanbunseki.com

 

ポルトガル語翻訳者の皆様へ

 投稿者:外国人人材  投稿日:2015年 9月 9日(水)19時17分30秒
  弊社の専門は多様なサービスを提供しております。
その中、翻訳サービスです。ポルトガル語翻訳者を募集しております。
コンピュータ翻訳技術、契約書、技術論文のポルトガル語翻訳者は弊社の登録ページよりご登録してお願いします。

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タイ人ための就職、転職情報を紹介

 投稿者:人材  投稿日:2015年 9月 3日(木)17時32分39秒
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日本語ビジネスやウェブエンジーニア技術技術が可能なタイ人を募集しております。また、他の技術が可能なタイ人応募者でも可能です。
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韓国語のオノマトペ、日本語のオノマトペ

 投稿者:増田嗣郎  投稿日:2015年 5月29日(金)16時56分46秒
  前の前の投稿で塚田浩太郎さんが韓国語のオノマトペについて触れておられたので、ネットで韓国語のオノマトペを検索してみた。面白い論文が二つ見つかった。
日本語のオノマトペと韓国語のオノマトペを対照する研究で、共に韓国からの留学生が書いたものであった。
一つはイ・ウナさんが14年前に名古屋大学大学院に提出した博士論文「日本語と韓国語のオノマトペに関する対象研究」で、さすがにしっかり研究されており大変参考になった。この中でイ・ウナさんは日本語と韓国語のオノマトペの数についても触れておられ、色々の説を紹介しておられ詳細は省くが、結論的には大雑把に言って、韓国語のオノマトペは約8000、日本語のオノマトペは約1500ということになるようである。約5倍である。
イ・ウナさんは日韓両語のオノマトペが多いのは、母音や子音の交替による交替形が数多く存在するからで、韓国語の方が多いのは韓国語の方が子音および母音の数が多く、また、音節構造が異なり、音節のタイプもはるかに多様であるため、とした上で、面白い具体例を挙げておられる。韓国語の笑いに関するオノマトペが、3個の語基から母音交替、子音交替、反復、語末子音の交替などの過程を経て176通りもの交替形になり得ることを具体的に示しておられる。ただ、「おそらく特定の個人が使い分けているのは可能な形の10分の1以下ではないかと思われる」、「母語話者の筆者自身・・・これらの可能な交替形のほとんどは意味的に明確に区別できない」とも言っておられ、「異なる語基の数という観点からすれば日本語の場合とほとんど大差はない」と結論づけられている。その上で「笑いに関するオノマトペは、オノマトペの語彙量に関する日韓の差の本質を的確に示している例であると言えよう。」と総括しておられ、妥当な結論ではないかと思う。
ただ、この論文は343頁中156頁しかネット上には公開されていなかったので、確かなことは分らないが、韓国の人が語感をどのように感じ分けているのかがよくは分らなかった。母音に陽母音と陰母音の区別があって、
陽母音が、小・少・狭・薄・明・密・美・善・固・鋭・軽・急・浅・清・親・剛・近・強 を表し、
陰母音が、大・多・広・厚・暗・粗・醜・悪・軟・鈍・重・緩・深・濁・疎・柔・遠・弱 を表すのだという。二分割は乱暴すぎるように思うし、語感に善悪があるとするのは、どうだろうか。文化の違いではあるが、韓国語の語感が何に基づいているのかが尚更に理解しずらくなってしまった。
もう一つの論文は、広島大学の留学生チェ・エリカ・ユンジョンさんの「日韓両語の対照研究―両語のオノマトペの聴覚的印象の異同の検討―」である。この中でユンジョンさんは非常に面白い調査をしておられる。日韓両国で読まれているマンガ「クレヨンしんちゃん」の場面を使い、オノマトペを使っている部分を白紙にし、韓国人には日本語の、日本人には韓国語のオノマトペ、それぞれ4っつを聞かせ、その中どれが一番適当か答えさせるというものである。ユンジョンさんの調査では、正解率が70%位であったそうであるが、母語に類似表現がある場合はそれに影響されるようだとも書いておられる。
この調査研究の方法は非常に面白いと思う。もっと大々的にやってはどうかと思う。さらに、この調査を日韓以外の人々、例えばフランス人、中国人、アメリカ人などにやってはどうだろう。フランス人に、日本語のオノマトペ3っつと韓国語のオノマトペ3っつをごじゃ混ぜにして聞かせたらどうだろう。韓国語のオノマトペを選ぶか、日本語のオノマトペを選ぶか、何か傾向が出れば面白い。例えば、フランス人の感性は日本人の方に近いが、アメリカ人の感性は韓国人の方に近いと出るかもしれない。はたまた、選び方のパターン分析から中国人とアメリカ人が似ていると出るかもしれない。
誰かやってみてくれませんか。「白雪姫」にだって、日本人や韓国人はオノマトペを使えると思う。
(平成27年5月29日)

http://www.gokanbunseki.com

 

「迷走するオノマトペ研究」について

 投稿者:増田嗣郎  投稿日:2015年 4月29日(水)16時28分23秒
  「迷走するオノマトペ研究」、反応がないようなので、横からひと言いわせていただきます。
実際、日本のオノマトペ研究は迷走していると思います。ただそれは、塚田浩太郎さんが言うような、何がオノマトペで何が副詞だとする定義の問題などではありません。もっと本質的な問題で、言葉の音がそれぞれ固有のイメージを持っていることが分かっていない、あるいは、持っていることを認めようとしないことに根本的原因があります。
塚田さん、あなたは言葉の音一つ一つがクオリア、イメージのかたまりを持っていることにお気付きですか。
気付いていても認めたくないのですか。とすれば、それはソシュールの誤読です。‘言語学の第一原理(音と意味との恣意性)’は誤訳です。ソシュールはランガージュについては言っておりません。ラングについてのみ言っているのです。ソシュールはパロールは手に負えないとして捨てたのです。ラングはランガージュからパロールを奪った抜け殻です。
死体を解剖して人間のすべてが分かるわけがありません。人間の命の部分が分かりません。人間の本質が分からないのです。
言葉の音の持つイメージを無視することはパロールを捨てるようなものです。オノマトペはパロール的存在です。ラングとしてオノマトペを研究しようとするから迷走するしかないのです。
塚田さん、あなたは言葉の音に、意味以外に何も感じませんか。‘さっぱり’にすがすがしさを感じませんか。感じるとしたらそれは、言葉の意味からだけですか。‘さ’そのものにも何か感じませんか。あなたは、‘さらさら’、‘smooth’、‘silky’、‘sleek’という言葉を並べておられますが、これらの言葉すべてが音韻/s/で始まっていることにお気づきですか。不思議とは思われませんでしたか。音韻/s/は、息を舌、唇の上を流すように発声するので、体感として、空気、水などの流れの感覚を惹起するのです。そして、舌の上の水気を奪うので、少し涼しいさわやかな感じもするのです。
ソクラテスは「クラテュロス」(プラトン全集2)の中で「rの字は、あらゆる動きを表現するためのいわば道具である・・・。rの字の発音に際して舌が静止することの最も少なく、震動することの最も多いのを看て取ったからなのだよ。」と言っています。すでに発音体感に気付いていたのです。ただ、rという音素が意味を持っていると言っているように取られて後々論難されました。
わが国でも、江戸時代の儒学者、賀茂真淵、本居宣長が言葉の音について論じています。特に鈴木朖は「雅語音声考」を著し一音一音について詳しく解説しています。いわゆる音義説ですが、音を意味と結びつけるものとして無視されているようです。近代に入ってからも幸田露伴が「音幻論」を著しています。
オノマトペを使うことの少ない欧米でも、脳生理学者のラマ・チャンドランが、言葉の音に何らかのイメージを感じる現象を共感覚によるものとして、‘ブートストラッピング仮説’を唱えています。私は、この説は間違いだと思っています。言葉の音にイメージを感じるのは、私たち日本人にとっては、共感覚のような異常なことではなく、ごく当たり前のことだからです。オノマトペ研究の最前線の先生方がこの‘ブートストラッピング仮説’に安易に飛び付くなんてみっともないことだと思います(「オノマトペ研究の射程」)。
なお、ラマ・チャンドランが世界各地で行った言葉の音とものの形を結びつける実験、‘bouba/kiki’は大変有意義だと思います。NHKでもやりましたが、その時は80%位の正解率でしたが、学問的に厳密に行われた調査では、98から99%の正解率になるようです。これは当然のことですが、むしろ私としては正解できなかった2~1%の人の頭の中がどうなっているのか興味があります。
ラマ・チャンドランはなぜそのようなことが起こるのかの機序を間違えているのです。しかし、その様な現象があることを世界に示した功績は大きいと思います。Boubaとまるっぽい図形、kikiと尖がった図形が結びつくのは、すなわち、特定の聴覚と特定の視覚が結びつくのは、脳の中の混信ではなく、発声時の体感、主に口腔体感からなのです。この場合、聴覚も口腔体感という触覚、視覚も滑らかか尖っているかという経験としての触覚に還元され、脳の中で触覚同士が結びつくのです。ですから、体性感覚野での結びつきであって、神経回路の混信ではありません。
わが国でも、むしろ言語学界の外の人の方が、素直に言葉の音に気付いておられるようです。大阪大学の学長も務められた哲学者の鷲田清一さんが「「ぐずぐず」の理由」を書いておられますが、言葉の音の持つイメージの違いを微妙に感じ取っておられるようです。いやしくもオノマトペを研究しようという方はこれ位の感性は持って欲しいと思います。
海外で日本語を教える研究者の中にも、日本語の持つ感覚的なものに気付いておられる方が多くおられるように感じます。
ところで、塚田さん、「コロコロ転がる」、「コロコロ転がす」の‘コロコロ’と‘転がる’、‘転がす’は関係がありませんか。
多分、どちらかからどちらかが出来たのでしょう。‘コロコロ’と‘転がる’とどちらが先か。私は‘コロコロ’が先に出来たと思います。それは‘コロコロ’の表す状態が言葉の音のイメージによく添っているからです。‘もちもち’と‘餅’の関係も同じだと思います。重要なのは‘モチ’という音の並びに豊かな粘り気と小さな切れを感じられるかどうかということです。
塚田さん、私も言語学界の現状を憂いている一人です。どうぞ、ご勉学お励みください。

http://theory.gokanbunseki.com

 

迷走するオノマトペ研究

 投稿者:塚田浩太郎  投稿日:2015年 2月28日(土)19時45分9秒
  日本語にはオノマトペが多いという話を聞くたびに気になっているのですが、どうも単純な音声感覚だけでオノマトペに分類してしまっているように見えます。
同じ言葉を二度繰り返しているか、小さい「つ」が入っているか、本当にそれだけの理由なんですよね。

すこし冷静に見極めてほしいですが、例えば「さっぱり」「すっきり」「がっかり」って本当に擬態語なのですか?
わたしには単なる副詞にしか思えません。
最近「もちもち」というのをよく聞きますが、これなんか「餅」という名詞を2回言っているだけでしょう。
副詞・形容詞・名詞を重ねて副詞的表現を作るという事はあります。
私の知っている中では中国語とタイ語がそうです。
これを「重ね型」と言いますが、誤ってオノマトペに分類されている連中は、実は「重ね型表現」ではないかと私は考えています。

副詞というのは文章全体を太陽のように照らす言葉なので、情緒的になりやすいのです。
だから素人には擬態語だと勘違いしやすいところがあります。
日本語のオノマトペは、数が多いというよりは、変形・転用が多いだけのようにも感じますがね。
英語についても、teenyweeny は擬態語なのか? 実は grip や swing って擬音語じゃないのか?みたいな議論はあります。
だけどそれを言い始めると収拾がつかなくなり、どんどんおかしな方向に研究が進んでしまいますし、それがオノマトペ研究の怖いところです。

いきなり西洋の言語と比較したりするから、さも日本語が変わり者のように感じてしまうんですが。
東南アジア言語にいくつか触れた私にとっては、日本語はあまり珍しい言語だとは思っていません。
語尾表現の使用、あまり整理されていない人称代名詞、疑問文の作り方、先に述べた重ね型表現など……
ここら辺はアジア言語に共通してみられる特徴で、日本語もその影響を受けているに過ぎません。
少なくとも韓国語を差し置いて「日本語が世界一」みたいに言うのだとしたら、それは早合点ですね。
むしろ発音上の理由から韓国語のオノマトペの方が3割増になっている可能性があります、調査はしていませんが。

もう少し外国語に対しても関心を持ってほしいですね。
髪がさらさらを英語でいうときに smooth とか silky ではなく、sleek という言葉が出て来るかどうか。
語学を仕事にするのならなおさら、それぐらいのレベルを期待しています。
 

自ら回答

 投稿者:蛍光灯  投稿日:2014年10月17日(金)10時22分20秒
  先ほどは、パソコン操作に手間取り
ご挨拶も忘れる体たらくで失礼いたしました。

改めまして、本日、初めてお邪魔いたします。
よろしくお願いいたします。


実は、投稿したとたん余計に悶々としまして
読売新聞に、直接問い合わせました。

「もとは誤用でしたが、今は"間違いではない"という状態。
国語学者のなかには、間違いだという人もいる。
年配の人ほど違和感があるようだ。」とのこと。

その場で即答とは、さすが。


少しずつ勢力を拡大している言葉のようです。
どちらかというと汚い言葉という印象なので
「年配」の私は、これ以上拡大しないでほしいとは思いますが。


お騒がせいたしまして、すみませんでした。
自分で回答まで書いて、ただの独り言のようになってしまいました。

小野先生、皆様、寒くなってまいりました折
お体にお気をつけて。





 

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