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正直、ここまでしていただけるとは思っておりませんでした。
明治25年かあ・・・
うちの祖母(既に故人ですが、縫殿の長女、ミキエ)が明治33年生まれでして、
私の実の母(ミキエの次女)がたしか5歳くらいまで釧路にいたと言っていました。
うちの母の当時は既に塘路を離れ釧路の幣舞橋あたりに住居を構えていたということです。
そういえば釧路のあたりって、地震多いんですよね。
よくまあ、あんな不安定な墓がなんとか持ちこたえていたものだと
思います。
(もしかしたらなんどか崩れたかも、知れませんよね)
ちなみに私がお墓に行った事がないことは先日お伝えしましたとおりなんですが
親戚筋に聞いてみましたら、
何年か?十何年か?前にNHKかなにかの開拓民の番組かなにかでも
お墓が紹介されたそうです。
写真の差し替え、無理そうであればそのままでも構いません。
おそらくうちの親族でこのページにたどりついたのは私しかいませんので、
ピエール釧路さんはじめ皆さんのお気持ちをいただけたことで
曽祖父もその母も心休まっていることと思います。
ひょんなご縁でしたが、お心遣いに感謝します。
ありがとうございました。
ちなみにもし、隊員の方でどなたかがmixiとかやっていらしたら、
私もしておりますのでせっかく寒い中撮影していただいた写真、
よろしければ見せていただけたら・・と思っております。
親戚筋では私と、私の姪(私の従妹の娘ですが・・・一応高岡の血をひいております)の二人しかmixiに入っておりませんが。
本当にありがとうございました。
万城目
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